東京高等裁判所 平成元年(ネ)2247号 判決 1992年4月27日
控訴人 山口敏正
右訴訟代理人弁護士 用松哲夫
同 若松巌
右訴訟復代理人弁護士 佐藤克也
被控訴人 国
右代表者法務大臣 田原隆
右指定代理人 笠原嘉人 外六名
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴人の当審における請求変更後の新請求を棄却する。
三 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。
2 控訴人が、原判決添付物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)について二九分の一の共有持分を有することを確認する。
3 被控訴人は、本件土地を競売に付し、その売得金から競売手続費用を控除した金額を右共有持分の割合により控訴人に分配せよ。
4 被控訴人は、控訴人に対し、金五七万六〇〇〇円及び昭和五七年一月一日から右競売による売却時までの間一か月当たり金五一七二円の割合による金員を支払え。
5 被控訴人の反訴請求を棄却する。
6 訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人の負担とする。
(控訴人は、当審において、原審における本件土地明渡等の請求を、右2ないし4項のとおりの請求に交換的に変更した。)
二 控訴の趣旨に対する答弁
主文と同旨。
第二当事者の主張
当事者双方の主張は、次のとおり訂正又は付加するほかは、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決三枚目表二行目の冒頭から同一〇枚目裏四行目の末尾までを、次のとおりに改める。
「一 控訴人の請求原因
1 本件土地は、昭和一六年一〇月六日以降、山口武敏を含む原判決添付共有持分割合目録の元共有者欄記載の二九名(以下「本件元共有者」という。)の共有に属していたものであり、山口武敏は、同土地について二九分の一の共有持分を有していた。そして、山口武敏は、昭和六二年二月一五日に死亡したので、その子である控訴人が山口武敏の遺産を相続した。
2 一方、被控訴人は、現在、本件土地について二九分の二八の共有持分を有している。
3 しかるに、被控訴人は、本件土地が被控訴人の単独所有であると主張して、控訴人が前記の共有持分を有することを争っている。したがって、控訴人は、被控訴人との間で本件土地の分割の協議をすることができない。また、本件土地は、現物分割によってはその価格を著しく減少させるおそれがある。
4(一) 山口武敏は、同人以外の本件元共有者と共に本件土地を共同で占有していたところ、被控訴人は、遅くとも昭和一八年一月一日ころから、山口武敏を含む本件元共有者の本件土地に対する占有を侵奪し、同土地の占有を開始した。その後、被控訴人は、昭和二〇年八月一五日にアメリカ合衆国により本件土地の占有を奪われたが、昭和四六年六月二五日に締結された日米政府間協定により、被控訴人とアメリカ合衆国との共同使用が認められ、その占有を回復し、現在も本件土地を占有している。
(二) 山口武敏又は控訴人と被控訴人との間では、共有物である本件土地の使用、収益に関して何らの定めもなされていないにもかかわらず、被控訴人は、遅くとも昭和一八年一月一日以降山口武敏の占有を侵奪し、同人及びその死亡後は控訴人に対し後記の賃料相当額の損害を与えている。なお、被控訴人は、昭和二〇年八月一五日から昭和四六年六月二四日までの間は本件土地の占有を喪失していたが、被控訴人が故意又は過失によりアメリカ合衆国との戦争を開始し、その結果本件土地の占有をアメリカ合衆国により奪われたものであるから、被控訴人は、その期間中についても山口武敏が本件土地を使用収益することができなかったことにより被った損害を賠償する責任がある。
(三) 山口武敏又は控訴人と被控訴人との間では、共有物である本件土地の使用、収益に関し何らの定めもなされていないにもかかわらず、被控訴人は、単独で本件土地を占有し、その全部を使用、収益しており、法律上の原因なくして、山口武敏及びその死亡後は控訴人の共有持分権を侵奪することによって後記のとおりの賃料相当額の利益を得、その反面、同人らに対して同額の損失を与えている。
(四) 本件土地の昭和一八年一月一日以降の賃料相当額は、次のとおりである。
(1) 昭和一八年一月一日から昭和二一年一二月三一日まで一か月金五〇〇円
(2) 昭和二二年一月一日から昭和二六年一二月三一日まで一か月金二〇〇〇円
(3) 昭和二七年一月一日から昭和三一年一二月三一日まで一か月金六〇〇〇円
(4) 昭和三二年一月一日から昭和三六年一二月三一日まで一か月金一万円
(5) 昭和三七年一月一日から昭和四一年一二月三一日まで一か月金二万円
(6) 昭和四二年一月一日から昭和四六年一二月三一日まで一か月金四万円
(7) 昭和四七年一月一日から昭和五一年一二月三一日まで一か月金八万円
(8) 昭和五二年一月一日から昭和五六年一二月三一日まで一か月金一二万円
(9) 昭和五七年一月一日から現在まで一か月金一五万円
そうすると、山口武敏及び控訴人が受けた損害額又は被控訴人が利得した金額は、昭和一八年一月一日から昭和五六年一二月三一日までの間は、右賃料相当額の合計額である金一六七〇万四〇〇〇円の二九分の一に相当する金五七万六〇〇〇円であり、昭和五七年一月一日以降は一か月当たりの賃料額金一五万円の二九分の一に相当する金五一七二円である。
5 よって、控訴人は、被控訴人に対し、本件土地の共有持分権に基づき、控訴人が本件土地について二九分の一の共有持分を有することの確認及び本件土地の競売等を求めるとともに、不法行為に基づく損害の賠償又は不当利得金の返還を理由として、金五七万六〇〇〇円及び昭和五七年一月一日から右競売による売却時までの間一か月当たり金五一七二円の割合による金員の支払いを求める。
二 請求原因に対する被控訴人の認否
1 請求原因1ないし3の事実は認める。
2 請求原因4の事実のうち、被控訴人が遅くとも昭和一八年一二月三一日以降本件土地を占有していることは認めるが、その余の事実は否認するか又は争う。
三 被控訴人の抗弁
1 買収
被控訴人は、昭和一八年九月三〇日、当時本件元共有者の一人であり、また、山口武敏を含むその余の本件元共有者二八名の代理人でもあった山口哲之助との間で、旧相模野海軍航空隊が駐在する帝都防衛海軍基地の敷地拡張に伴う用地の一部として、本件土地を代金七五五円(坪当たり金五円)で買収する旨の契約を締結した。したがって、右買収により、山口武敏を含む本件元共有者は、いずれも本件土地の共有持分権を喪失し、一方、被控訴人は、本件土地の所有権を取得した。そして、右買収の経緯及びその後の経過は、次の(一)ないし(五)のとおりである。
(一) 本件土地を敷地の一部とする厚木海軍飛行場は、旧海軍が昭和一六年から昭和一八年にかけて、当時の神奈川県高座郡大和町と綾瀬村にまたがって存在した農地あるいは山林等を買収し、航空基地として建設したものであって、昭和一六年六月六日にも本件元共有者から、その所有の農地、山林を買収するなどして、逐次その敷地を拡張していったものである。
(二) 本件土地の買収については、被控訴人の横須賀海軍施設部の職員が担当し、土地買収の価格は地目ごとにその単価を決め、墳墓は坪当たり金五円とされた。そして、その交渉には、右職員及び本件土地の所在する綾瀬村の職員が当たり、昭和一八年九月三〇日に山口武敏を含む本件元共有者から本件土地を代金七五五円で買収したものである。
(三) その後綾瀬市に保管されている土地買収調書には、旧海軍が右日時に本件土地を買収したことが明記されている(<書証番号略>)。また、旧海軍は、帝都防衛海軍基地の敷地拡張に際し、本件土地の買収と同時にその周辺一帯の土地をも買収したものであるが、本件土地を除くその余の周辺の土地(<書証番号略>)については、その後昭和一九年二月ころまでの間に、昭和一八年九月三〇日付けの売買を原因とする海軍省名義の所有権移転登記が経由されている。
(四) 本件土地の買収代金は、その所有権移転登記がなされていなかったために支払われていなかったところ、昭和二〇年一一月三〇日をもって陸海軍省が廃止されることになったのに伴い、旧軍の買収にかかる代金未納物件である本件土地については臨時軍事費をもってその代金を支払うことになり、同年一一月二一日付けで横浜興信銀行長後支店を通じて、山口武敏を含む本件元共有者の本人兼代理人であった山口哲之助に支払われた(<書証番号略>)。
(五) 被控訴人が、その後山口武敏を含む本件元共有者又はその相続人との間で本件土地の被控訴人名義への所有権移転登記手続のための交渉を行なっていた際、山口武敏を含む本件元共有者又はその相続人は、昭和四九年以降、被控訴人が見舞金等の名目で一平方メートル当たり金一五七〇円(本件土地の時価に比し著しく低い金額である。)の金員を支払うことを条件にして、前記の買収により本件土地の所有権が被控訴人に帰属していることを認め、被控訴人名義への所有権移転登記手続をすることを承諾し、その旨の登記承諾書及び印鑑証明書等を被控訴人に提出している。」
二 原判決一一枚目裏五行目の「抗弁に対する認否」を「抗弁に対する控訴人の認否」に、同六行目の「1 抗弁1の(一)、(二)の各事実」を「1(一) 抗弁1の本文の事実」に改め、同一二枚目裏三行目の冒頭から同七行目の末尾までを次のとおりに改める。
「 (二) 抗弁1の(一)の事実は否認する。
(1) 旧海軍は、太平洋戦争に備えて海軍航空基地としての厚木基地を建設するために、国家総動員令を発動して昭和一六年六月六日の第一次接収により綾瀬村深谷地区及び蓼川地区の南側半分に当たる上ノ原、中ノ原、銭取塚、狐ケ原の土地を接収した。さらに、昭和一六年一二月二四日には、大規模な連絡用の軍用道路を建設するため、第二次接収を行なった。そして、昭和一七年九月三〇日には、相模野航空隊の独立に備えて従来の滑走路を拡張して基地航空設備を充実させるために、蓼川地区の北側半分に当たる松ケ本、藤ノ森、稲ノ森、柳ケ裏の各地区を中心に第三次接収を行なった。そして、昭和一八年八月一七日には、厚木基地を帝都防衛の最後の拠点として要塞基地化するため、蓼川の左右両岸地区を中心に第四次接収を行なったが、この中に本件土地が含まれていた。
(2) ところで、第一次接収の際、本件元共有者らは、昭和一六年六月六日に綾瀬村国民学校の講堂に集められたが、そこで、主計大佐渡辺は、参集した土地所有者に対し、『諸君の持っている土地はいわゆる国土であって国家のものであり、天皇陛下からお預かりしている土地である。国をあげての非常事態、国家存亡の時であるから、諸君の土地もこの際名誉の応召のつもりで喜んで協力してもらいたい。』などと説明したが、これは当時の時代背景からすれば天皇の名における国家総動員令による土地の接収であり、私法上の売買の申込みと解することは絶対にできない。そして、この話を聞いた本件元共有者は、国家の危急時に土地を供出することは出征と同様に名誉の応召と思い、兵隊が戦争が終われば除隊になって帰って来られるのと同様に、土地の立退きも一時的なもので、戦争が集結すれば当然に返還されるものと理解していたのである。したがって、渡辺の右説明は、買収の申込みとみる余地はなく、土地の一時強制使用(接収)の申込みにすぎない。しかも、渡辺の右説明では買収価格の提示が全くなかったものであるから、これを買収の申込みと推認する余地もない。
(3) 山口武敏は、昭和一六年六月六日の右会合には出頭することができず、綾瀬村役場からの通知により同月一〇日に同役場に出頭したところ、同人所有の土地からの移転命令を受けただけであって、買収価格の提示も、買収の申込みもなく、買収関係書類に捺印を求められたことも、これに捺印したことも全くなかった。
(4) 仮に、渡辺の右説明を土地買収の申込みと解したとしても、当時は軍の命令に反対することは死刑を意味し、反対できる状況にはなかったから、反対の意思表示をしなかったからといって、これをもって法律的に右申込みを承諾したものということはできない。
(5) 以上によれば、昭和一六年六月六日の第一次接収は正に接収であって、買収の事実はなかったというべきである。
(三) 抗弁1の(二)の事実は否認する。
(1) 昭和一六年六月六日の第一次接収に当たっては、土地所有者はともかく参集だけは命ぜられたが、同年一二月二四日の第二次接収、昭和一七年九月一〇日の第三次接収、昭和一八年八月一七日の第四次接収に当たっては参集を命ぜられたことすらなく、買収の交渉は全くなかった。そして、第二次接収ないし第四次接収に当たっては、海軍省からの何らの前触れもなく、突然に綾瀬村役場の職員から移転対象地、移転時期だけを記載した移転命令書が交付されたにすぎないものであり、買収価格などの記載は一切なく、また、綾瀬村職員からも買収代金の提示は全くなかったから、本件土地については強制的な退去命令がなされただけであり、買収の事実は全くなかった。
(2) また、山口武敏らの本件元共有者は、国家の非常時ということで、海軍の一時土地使用に逆らうことができなかっただけであって、戦争が終われば土地は返還されるものと認識していたのであり、戦争終了後間もなくから接収対象地の返還を求め続けていたものである。そして、本件土地は、昭和一六年六月六日の第一次接収により墓地までが強制的に接収されてしまったため、やむなく共同で買い求めた土地であるところ、そもそも墓地を売るなどということは、先祖に対する冒涜であるから絶対にあり得ないことであり、しかも、折角入手した共同墓地を売るなどということは到底考えられない。
(3) 以上の事実によれば、本件元共有者が本件土地について黙示の意思表示により買収を承諾したことはあり得ないものというべきである。
(四) 抗弁1の(三)の事実は否認する。
(1) 土地買収調書は、買収交渉に先立ち、横須賀海軍施設部において、関係土地所有者の意思に関係なく事前に作成されていたものにすぎないから、買収調書が存在するということだけから本件土地が正式に買収されたことを証明することはできない。しかも、<書証番号略>は、いずれも写しにすぎず、かつ、その記載内容には不審な点があるから、全く信用性がない。
(2) 第四次接収により接収された本件土地以外の土地について海軍省名義でなされた所有権移転登記は、申請を受けた登記官である八木唯雄が、所有権移転登記に必要な書類が添付されていないにもかかわらず、旧海軍の命令によりやむを得ずなしたものであるから、全く違法で無効な登記というべきである。
(五) 抗弁1の(四)の事実は否認する。
山口武敏が山口哲之助に対し買収代金受領の代理権を与えたことは全くない。そして、山口哲之助は勿論のこと、その余の本件元共有者も、誰一人本件土地の買収代金と称する金七五五円を横浜興信銀行長後支店を通じて受領したことはない。そもそも、<書証番号略>は、公文書としては考えられない体裁となっている上、土地代金領収証の印影にも事実と相違する点が多々あり、その作成経緯、体裁、内容等からしても全く信用性がない。
(六) 抗弁1の(五)の事実のうち、本件元共有者又はその相続人が、昭和四九年以降被控訴人に対し、被控訴人主張の登記承諾書及び印鑑証明書等を提出したことは認めるが、その余の事実は否認する。
これらの書類は、あくまでも交渉過程における交渉手段の一つとして提出したものであって、本件土地の所有権が被控訴人に帰属していることを認めて提出したものではない。」
三 原判決一二枚目裏一〇行目の「再抗弁」の前に「控訴人の」を加え、同行目の「(抗弁2に対し)」を削り、同一〇行目と同末行との間に改行して次のとおり加える。
「1 買収契約の当然無効
仮に、本件土地について買収が行なわれ、買収契約が締結されたとしても、その買収契約なるものは、当時の天皇絶対の体制下において、海軍(天皇)の命令により、意思選択の自由が完全に奪われた状況下において強制されて成立したものであるから、当然に無効というべきである。そして、わが国の太平洋戦争については、東京裁判において、人類、平和等に対する犯罪行為であるとして当時の戦争遂行責任者が処断され、わが国は、平和条約において、これが犯罪行為であったことを認めており、かつ、日本国憲法は、これを受けて戦争を放棄しているところ、厚木基地建設のための本件土地の買収はこの犯罪行為の手段としてなされたものであるから、右買収は、この面からしても、当然に無効というべきである。」
四 原判決一二枚目裏末行の「1」を「2」に、同一三枚目裏八行目の「2」を「3」に、同一四枚目表四行目の「3」を「4」に、同七行目の「4」を「5」に改める。
五 原判決一五枚目裏一行目の「認否」の前に「被控訴人の」を、同二行目と同三行目との間に改行して「2 再抗弁2は争う。」を加え、同一〇行目の「2 再抗弁2の」を「3 再抗弁3の」に、同一六枚目表一行目の「3 再抗弁3の」を「4 再抗弁4の」に、同裏一行目の「4 再抗弁4は」を「5 再抗弁5は」に改める。
六 原判決一六枚目裏九行目の冒頭から同一八枚目表四行目の末尾までを次のとおりに改める。
「一 被控訴人の請求原因
1 本訴の請求原因1のとおりである。
2 本訴の抗弁1及び2のとおりである。
3 本件土地については、現在山口武敏のため二九分の一の共有持分の所有権移転登記がなされている。
4 よって、被控訴人は、山口武敏の相続人である控訴人に対し、本件土地の二九分の一の共有持分について、主位的には買収契約(本訴の抗弁1)に基づき、昭和一八年九月三〇日売買を原因とする、また、予備的には本件土地所有権の時効取得(本訴の抗弁2)に基づき、同年一二月三一日時効取得を原因とする各所有権移転登記手続を求める。
二 請求原因に対する控訴人の認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 請求原因2については本訴の抗弁1及び2に対する認否のとおりである。
3 請求原因3の事実は認める。
三 控訴人の抗弁
本訴の再抗弁1ないし5のとおりである。
四 抗弁に対する被控訴人の認否
本訴の再抗弁1ないし5に対する認否のとおりである。」
第三証拠関係<省略>
理由
一 当裁判所も、控訴人の本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却すべきであり、被控訴人の反訴請求は理由があるから、これを認容すべきものと判断する。そして、その理由は、次のとおり付加又は訂正するほかは、原判決の理由説示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決一九枚目裏七行目の「第一三号証」の前に「第一二号証の一、」を、同八行目の「その方式及び趣旨」の前に「原審相原告戸井田寿一本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第四〇号証、」を加え、同一〇行目の「第一二号証の一、」を削り、同末行の「争いのない」の次に「甲第八五号証の一ないし三、第一〇四号証の一、二、」を加え、同二〇枚目表六行目の「第九号証の二、六、」の前に「第六号証の四の一、二、同号証の五、六、」を加え、同末行の「及び同渡辺久七」を、「、同渡辺久七及び同水野喜内」に改め、同裏一行目の「同山口敏正(同9)及び」を削り、同二行目の「各本人尋問」の前に、「及び控訴人(原審及び当審)」を、同四行目の「右原告ら」の次に「及び控訴人(原審及び当審)」を加える。
2 原判決二〇枚目裏七行目から同八行目にかけての「昭和一三年から同一六年にかけて、」を「昭和一六年ころから」に改め、同八行目の「昭和一八年」の前に「昭和一七年三月一日に横須賀海軍航空隊厚木分遣隊として設置されたが、同年一一月一日に独立して相模野海軍航空隊となり、さらに、」を、同行の「一〇月」の次に「一日」を加え、同九行目の「旧厚木海軍航空隊」を「厚木海軍航空隊」に、同二一枚目表一行目の「昭和一六年六月六日」を「昭和一七年三月一日から」に改め、同七行目の「施設部となった。」の次に「以下『横須賀海軍施設部』という。」を加える。
3 原判決二三枚目表四行目の「右渡辺の説明」の次に「及び買収の手続」を、同六行目の「こともやむをえない」の次に「、軍による右土地買収の申込みに協力することは国民として当然のことであるなど」を加え、同九行目の「売買代金」を「買収代金」に改め、同裏二行目の「出席できなかった者」の次に「(この中には山口武敏も含まれていた。)」を加え、同二六枚目表六行目から同七行目にかけての「その表紙」を「その表紙の二丁目」に改め、同八行目の「とあり、」の次に「その内容(表紙を含めて九丁目裏七行目)に、」を加える。
4 原判決二五枚目裏九行目の末尾に続けて「そして、本件土地を含む右買収対象土地は、その後本件基地の敷地の一部として被控訴人により占有、使用されている。」を加える。
5 原判決二七枚目裏一〇行目の「売買契約」を「買収契約」と改め(なお、以下の各「売買契約」もすべて「買収契約」に改める。)、同行目の「成立したこと」の次に「、そして、昭和一六年六月六日に出席できなかった山口武敏らとの間においても、同月一〇日ころに右同様の買収契約が成立したこと」を、同二八枚目裏四行目の「事実によれば、」の次に「本件土地は代金七五五円で買収されたものであり、そして、」を加える。
6 原判決二九枚目裏四行目と同五行目との間に改行して次のとおり加える。
「なお、昭和一八年に行なわれた本件土地の買収及びそれに先立ち昭和一六年に行なわれた本件元共有者らの所有土地の買収等に関する一件書類が十分に整理された状態で現存していないことは争えないが、右各買収時から本件本訴の提起時まででも四〇年前後の歳月が経過するとともに、その間に戦争終了前後の混乱期が介在しているのみならず、<書証番号略>によれば、これらの買収関係書類のうち、買収手続が終了して海軍大臣に報告済みのものなどは、すでに焼却されている可能性のあることも認められるから、これらの買収関係書類が十分に整理された状態で現存していないこと自体は、右認定を左右するものではない。なおまた、一件記録によれば、本件元共有者又はその相続人(本件訴訟への当初からの不参加者を除く。)は、原審において、控訴人と共に、本訴原告、反訴被告とし全部敗訴の判決を受けていながら、控訴人一名を除いては、いずれも控訴の申立てをせず、原判決を確定させていることが明らかであるが、このことは、右認定の結論の正当性を裏付ける一徴憑ということができるであろう。」
7 原判決二九枚目裏五行目の冒頭から同三四枚目表三行目の「供述している。」までを次のとおりに改める。
「3(一)(1) ところで、控訴人は、昭和一六年六月六日の綾瀬村国民学校講堂における主計大佐渡辺の説明は、土地の買収価格も提示していないから買収の申込みではなく、既に国家総動員法が制定され、太平洋戦争の開始前夜であった当時の状況及び渡辺の説明内容からすれば、天皇の名による国家総動員令に基づく土地の一時強制使用(接収)の申込みにすぎなかったと主張する。そして、証人川口頼雄の証言中にも、渡辺は、右席上で、『諸君が持っている土地というものはいわゆる国土であって国家のものである、言うなれば天皇陛下からお預かりしている土地である、したがって、国家有事の際、あるいは国家が必要とする場合には喜んでこれを返還してもらわなければならない、今は国をあげての非常事態である、国家存亡の時である、諸君の土地もこの際名誉の応召のつもりで喜んで協力してもらいたい』などと説明したが、その際、土地買収の話や買収価格等の買収条件の提示は全くなかった、そこで、戦争が終われば提供した土地はその所有者に返してもらえると思っていた旨の供述部分があり、また、<書証番号略>、証人渡辺久七の証言、原審相原告山口宣雄本人尋問の結果の中にも、同旨の供述記載及び供述部分がある。そして、昭和一三年四月に国家総動員法が制定され、昭和一六年一二月八日に太平洋戦争が始まっていることは、当裁判所に顕著な事実である。
しかしながら、前記1の(一)ないし(六)の各事実を総合して考えると、昭和一六年当時のわが国の状況及び右渡辺の説明内容を考慮しても、渡辺の右説明が土地買収の申込みの趣旨を含まず、単なる土地の一時強制使用(接収)の申込みにすぎなかったと解することは困難である。したがって、戦争が終われば右買収土地はその所有者に当然に返還してもらえると思ったなどとの右供述記載及び供述部分は、戦争の終了後に激変した新しい社会状勢や国民意識を前提として、それのみに基づき右証人又は本人の発想ないし所見を述べるものにすぎず、そのとおりには採用することができない。また、右供述記載及び供述部分によれば、昭和一六年六月六日には土地の買収の話や買収価格等の買収条件の提示は全くなかったとするが、証人川口頼雄の証言以外の前記供述記載及び供述部分はいずれも伝聞である上、右供述記載及び供述部分は、数十分ないし一時間続いた渡辺の説明及び買収手続の内容の一部のみを取り上げて強調しているものにすぎないから、右供述記載及び供述部分はそのとおりには採用することができない。そして、前記1の(一)ないし(六)の各事実を総合すれば、渡辺の右説明は、本件基地拡張のための買収対象土地についての買収の申込みを前提とする説明であったと解することができる。したがって、控訴人の右主張は理由がない。
(2) 次に、控訴人は、右昭和一六年六月六日の会合には出頭することができず、同月一〇日に綾瀬村の役場に出頭した山口武敏らに対しても、土地の買収価格の提示や買収の申込みはなかったばかりか、買収関係書類に捺印を求められたり、これに捺印したりしたこともなかったと主張し、<書証番号略>、控訴人本人尋問の結果(原審及び当審)中にも、これにそう供述記載及び供述部分がある。しかし、これらはいずれも伝聞にすぎないのみならず、右供述記載及び供述部分によっても、山口武敏が綾瀬村役場の職員である柏木から、「あなたの土地を海軍が使用するからその明渡しを承諾してもらいたい。」といわれて、これを承諾したものであることを否定することはできない。そして、この事実と前記1の(一)ないし(六)の各事実を総合すると、むしろ、山口武敏は、その他の買収対象地の所有者と共に、旧海軍による土地買収の申込みを異議なく承諾し、しかも、その旨の登記手続にも応じたものであると認めることができるから、控訴人の右主張も理由がない。
(3) さらに、控訴人は、仮に渡辺の右説明を土地買収の申込みと解したとしても、当時は軍の命令に反対することは死刑を意味し、反対できる状況にはなかったから、反対の意思表示をしなかったからといって、これをもって法律的に承諾したものということはできないと主張し、証人川口頼雄の証言中にも、昭和一六年六月六日当日綾瀬村国民学校講堂内及び周辺には憲兵とおぼしき人間や軍人がおり、また、軍に反対することは死刑を意味したから、逆らうことができなかった旨の供述部分がある。しかしながら、右証人の右供述部分は、その内容である事実関係が具体性に欠けるとともに、単なる推測ないし意見をも含むものであって、これらのみによっては、右主張を肯定することはできない。のみならず、昭和一六年六月当時のわが国の社会状勢や戦局に照らせば、右買収対象土地の所有者は、前記一の(四)で認定したとおり、右土地を旧海軍が使用することはやむを得ない、旧海軍による右土地買収の申込みに協力することは国民として当然のことであるなどと考えて、その申込みを異議なく承諾したものであると認めるのが相当である。右主張のごとく、軍の命令に反対することは死刑を意味するとの理由で右申込みに反対することができなかったなどと解することは、戦争の終了後に激変した新しい社会状勢や国民意識のみに基づき、右買収当時の社会状勢や国民意識を全く無視した見解にすぎないものといわざるを得ず、採用することができない。
(4) なお、<書証番号略>には、宅地、農地の売買代金は等級によって決まるものであるところ、当時蓼川地区についても、田の場合は九甲から一三丙まで、畑の場合は八甲から一三乙までの等級があったから、土地の買収であれば一律に売買代金が決定されるということはあり得ない旨の供述記載がある。しかしながら、<書証番号略>によれば、旧海軍が昭和一八年一一月に行なった横浜市戸塚区瀬谷地区における土地の買収においては、水田については三種類、畑及び山林については二種類の買収価格だけによって買収契約が成立していることが認められる上、当時のわが国の状況下において広範囲にわたる土地の買収につき買収価格を一律に決定して行なったとしてもあながち不合理な処置であったとはいえないから、右供述記載を採用することはできない。
(5) また、<書証番号略>によれば、昭和四六年に井上博外二六名が昭和三八年から昭和四五年までの間における厚木航空基地の土地使用料の請求書を作成し、被控訴人に提出していることが認められるところ、控訴人本人尋問の結果(当審)の中には、右請求者の中には昭和二〇年当時の綾瀬町長であった見上盈、昭和三〇年当時の同町長であった武藤政雄、昭和三五年当時の同町長であった橘川勇が含まれているが、町長であれば職務上綾瀬町に保管されている土地買収調書又はその代金の領収証を確認することができるはずであるのに、被控訴人に土地の使用料を請求していることは、それまでに土地の買収や土地買収代金の支払いがなかったことを示すものである旨の供述部分がある。しかしながら、本件の全証拠を検討しても、前掲甲第二九号証の作成経緯やその趣旨は明らかでないのみならず、同証に記載された右土地使用料の請求者の中には東京電力株式会社も含まれている一方、本件土地の記載はあるものの、一審相原告山口宣雄以外の本件元共有者又はその相続人は右土地使用料の請求者とはなっていないことなどからみて、同証記載の請求者が、被控訴人による土地買収の事実を否定し、同証記載の各土地につき自己の所有権を主張して同証を作成したものであるとまでは確認することができないから、控訴人の右供述部分は採用することができない。
(二) 次に、控訴人は、昭和一六年一二月二四日の第二次接収、昭和一七年九月一〇日の第三次接収、昭和一八年八月一七日の第四次接収においては、いずれも土地の所有者は綾瀬村役場の職員から移転命令書を交付されただけであって、土地買収の申込みを受けたことは一切なかったし、また、そもそも墓地を売るなどということは先祖に対する冒涜であって絶対にあり得ないのみならず、本件土地は昭和一六年六月の移転命令によってやむなく入手した共同墓地であるから、これを売るなどということは全く考えられない、しかも、本件元共有者又はその相続人は、戦争終了後間もなくから被控訴人に対し、本件土地等の返還を求め続けていたものであるから、本件土地買収の事実は全くなかったし、本件元共有者又はその相続人が本件土地の買収について黙示の意思表示によりこれを承諾したこともあり得ないと主張する。そして、原審相原告山口文雄及び控訴人本人尋問の結果(原審及び当審)の中には、この主張にそう部分がある。
しかしながら、戦争継続中である昭和一八年九月三〇日に本件土地等の買収が行なわれたことと、戦争終了後に本件元共有者又はその相続人が本件土地等の返還を求め続けていたこととは、十分に両立し得る事柄であって、何ら矛盾するものではない。のみならず、前記認定のとおり、本件元共有者又はその相続人は、その返還交渉中に被控訴人に対し、本件土地が戦争中に買収され、その所有権が被控訴人に帰属していることを前提とする登記承諾書等の書類を提出しているのであるから、まず、被控訴人から本件土地の買収の申込みがあり、これに対し、本件元共有者又はその相続人がその買収を黙示に承諾したものと認定しても何ら不合理なこととはいえない。また、本件土地のごとき墓地を買収の対象にすることはあり得ないとの主張についても、前記1の(五)のとおり、昭和一六年六月六日の買収の際にもその対象土地の中に本件元共有者の旧墓地が含まれており、その買収が有効に成立していることは前記1及び2で認定したとおりである上、<書証番号略>によれば、右旧墓地や本件土地のほかにも、墓地が買収の対象土地として取り上げられている事例のあることが認められるから、本件土地が当時共同墓地であったということ自体は、本件土地が旧海軍による買収の対象土地となったこと及び同土地について本件元共有者又はその相続人が右買収の申込みを黙示に承諾したことと何ら矛盾するものではなく、その認定の妨げとなるものではないというべきである。よって、控訴人の右主張も理由がない。
(三)(1) また、控訴人は、乙第一号証、第一二号証の二の各土地買収調書は、いずれも土地所有者との買収交渉に先立ち事前に作成されていたものであるから、これらの調書の存在は本件土地が正式に買収されたことの証明にはならない上、それらはいずれも写しにすぎず、かつ、その記載内容にも不審な点があるから、信用性がないと主張する。
(2) まず、証人水野喜内の証言によれば、乙第一号証は、防衛庁施設局施設管理課が業務の参考とするために綾瀬市から交付を受けて保管していた書類の中から本件土地に関係のある部分を抜粋してその写しを作成したものであることが認められる。そして、同証中の買収調書の内容部分については、「海軍」の印刷名のある用紙が使用されていることなど、その体裁からして、旧海軍が存在していた当時に作成された書類の写しであると推認することができ、本件の全証拠を検討しても、その推認を覆し、これが誰かによって偽造されたものであると認めるべき証拠は全く存在しない。
(3) 次に、<書証番号略>によれば、乙第一二号証の二は、昭和六三年一一月一四日付けで横浜防衛施設局長が行なった文書の写しの交付請求に基づき、綾瀬市長が同年一二月一六日付けで同局長に交付した、当時綾瀬市に保管中の昭和一六年六月以降の海軍省土地買収調書の写しであることが認められる。そして、乙第一二号証の二の中の買収調書の内容部分については、「海軍」の印刷名のある用紙が使用されているから、旧海軍存続当時に作成されたものの写しであるかのごとくにも認められる。しかしながら、乙第一二号証の二の中には、本件土地の記載はあるものの、「自昭和一六年六月 海軍省買収地調書」と「買収地にて登記未了の分 但し代金は全部領収済」との二枚の表紙があり、かつ、乙第一号証とは、本件土地の記載の場所やその前後に記載された土地の地番等が全く異なっているから、乙第一号証の原本と乙第一二号証の二の原本とは同一でないことが窺われる。しかも、<書証番号略>によれば、高座郡綾瀬村は、昭和二〇年四月一日以降町制を施行したこと、乙第一号証の各土地の所在地欄には「綾瀬村」との表示があるのに対し、乙第一二号証の二の各土地の所在地欄には「綾瀬町」との表示があり、地番欄には五三六八の二など本件買収当時には分筆されておらず、昭和二二年から昭和三七年までの間に分筆された土地の地番も表示されていることが認められる。しかし、乙第一二号証の二の原本が何らかの目的で偽造されたと認めるべき証拠はない。のみならず、<書証番号略>によれば、右各土地は、いずれも分筆前は本件基地の敷地の内外にまたがって存在していたものであり、その一部が旧海軍による買収の対象土地となったが、その分筆手続が未了のままで放置されていたところ、後日分筆手続が実施されたものであることが認められるから、この事実と右各事項が海軍の用紙に記載されていることに照らせば、旧海軍は前記の買収当時将来これらの土地を分筆して枝番「二」を付することを予定していたものと推認することができる。したがって、これらの事実と、前記1の(九)の事実を総合すれば、乙第一二号証の二の原本は、綾瀬町の職員が同町の町制が施行された昭和二〇年四月以降に、旧海軍による買収土地のうち本件土地を含む未登記の土地をまとめて整理するために作成したものであると推認することができ、適法に作成された文書であるというべきである。
(4) なお、<書証番号略>には、旧海軍は分筆前の土地全体を使用していたが、戦争終了後道路を境にして枝番一の土地と枝番二の土地とに分筆され、枝番二の土地は進駐軍が接収して使用し、枝番一の土地は昭和三六年に元の所有者に返還された旨の供述記載がある。しかしながら、旧海軍が分筆前の土地全体を使用していたとの点については、昭和二一年ころに本件基地を撮影した航空写真であることに争いのない甲第九九号証によっても、必ずしも明らかではなく、その他に右供述記載を裏付けるに足りる証拠もないから、右供述記載を直ちに採用することはできない。
(5) また、<書証番号略>には、綾瀬市に保管されている土地買収調書は、昭和三〇年に当時の岡崎外務大臣が綾瀬町に来た際に、固定資産税に代わる基地交付金を交付するから現在使用されている基地内の土地を把握して提出せよと指示されて、登記簿に基づいて基地に存在する土地を拾い出して作った単なるメモみたいなもので公文書ではないなどとの供述記載がある。しかし、その趣旨は必ずしも明らかでないのみならず、その供述を具体的に裏付ける証拠もなく、単に推測の域を出ないものといわざるを得ないから、この供述記載をそのとおりに採用することはできない。
(6) さらに、<書証番号略>によれば、前記の各土地買収調書は、いずれも買収対象土地の所有者との買収交渉開始の以前に作成されていたものであることが窺われる。したがって、右土地買収調書が存在するということだけから直ちに土地所有者が右調書に記載された土地の買収を承諾したことを推認することができないことは明らかである。しかしながら、このことを前提にしても、<書証番号略>によれば、少なくとも旧海軍が本件土地につき土地買収調書を作成していることは明確に認め得るから、この買収調書により、旧海軍は本件土地を買収の対象土地としていたことを推認することができる。
(7) そうすると、<書証番号略>は、少なくとも旧海軍によって本件土地の買収が行なわれた事実を推認する有力な証拠であるというべきである。したがって、控訴人の右主張はいずれも理由がない。
(四) 控訴人は、昭和一八年八月一七日に接収された本件土地以外の土地について海軍省名義でなされた所有権移転登記は、その登記の申請を受けた登記官である八木唯雄が、所有権移転登記手続に必要な書類が添付されていないにもかかわらず、旧海軍の命令によりやむを得ずなしたものであるから、無効の登記であると主張する。そして、<書証番号略>には、その主張にそう記載がある。また、<書証番号略>には、戸井田寿一は、平成元年二月ころ用松哲夫弁護士と共に八木宅を訪ね、その際同弁護士が、予め用意した尋問事項に基づいて八木に質問し、戸井田が八木の応答をメモした上、後日用松弁護士宛の報告書をまとめた、そして、戸井田は、同年三月一日に八木宅に右報告書を持参して八木に署名押印を求めたが、八木の体調が悪く署名押印してもらえなかった、そこで、戸井田は、その後用松弁護士の指示により同年四月ころ再び八木宅を訪ねて署名押印を求めたところ、八木は、右報告書の末尾に前記の署名押印をした旨の記載がある。
しかしながら、本件記録によれば、八木は、原審において証人として採用され、昭和六二年三月一二日及び同年九月一七日の各尋問期日に呼出を受けながら、いずれも出頭することができなかったことが明らかであるから、同人の当時の健康状態は証人尋問に耐えられないほどのものであったと推認される。そして、右の<書証番号略>によっても、八木は、昭和六三年暮れころから床にふせっており、平成元年三月ころには署名押印することすらできず、同年七月一日に死亡したというのである。そうすると、<書証番号略>の八木の署名押印は、八木が右報告書の内容を十分に判読理解して行なったものか否かが疑わしい上、<書証番号略>の報告書は、原審相原告の戸井田寿一自身が作成したものであり、しかも、被控訴人による反対尋問にさらされていないものであるから、右甲号各証の記載内容をそのとおりには採用することはできず、これのみをもって直ちに右所有権移転登記が無効の登記であると認めることはできない。したがって、控訴人の右主張は理由がない。
(五) 控訴人は、山口武敏は山口哲之助に対し本件土地の買収代金受領の代理権を与えたことは全くないのみならず、山口武敏は勿論のこと、その余の本件元共有者も、誰一人本件土地の買収代金と称する金七五五円を横浜興信銀行長後支店を通じて受領したことはないと主張し、原審相原告山口宣雄、同戸井田寿一、同山口文雄及び控訴人(原審及び当審)各本人尋問の結果の中にも、この主張にそう部分がある。また、控訴人は、乙第二号証は、公文書としては考えられない体裁となっている上、土地代金領収証に押捺された印影にも事実と相違する点が多々あるなど、その作成経緯、体裁、内容等からして全く信用することができないと主張する。そして、<書証番号略>によれば、、乙第二号証の二丁目の「土地代金其他支拂ニ関スル件通知」と題する文書の作成者としては単に国有財産係官との記載があるだけで、氏名の記載がないこと(但し押印はある。)、右文書と三丁目以下の土地代金領収証や補償費領収証との間の契印の有無もそれらが写しであるために判然としないこと、乙第二号証の蓼川神社の印影及び増田元一郎の印影が同人らが当時使用していた印鑑の印影と異なっていること、綾瀬村は昭和二〇年四月一日以降は町制を施行し綾瀬町となっているのに、右領収証の所有者欄には『村長鈴木寛』の記載があり、領収印欄には綾瀬村長の印が押捺されていることが認められる。また、<書証番号略>の蓼川神社の昭和一七年九月以降の会計簿中には、乙第二号証に記載された買収代金が入金された旨の記載のないことが認められ、さらに、右代金の支払日についても、乙第二号証では代金支払期日が昭和二〇年一一月二一日となっているのに対し、乙第一二号証の二の土地買収調書の本件土地に関する部分の欄外には昭和二〇年一二月二九日代金支払い済みと付記されていることが認められる。
しかしながら、乙第二号証が作成された昭和二〇年一一月ころは戦後の混乱期であったから、前記の程度の書式の体裁の問題はその書面の信用性を直ちに減殺するものとはいえない。また、本件土地以外の土地買収代金の領収印が異なっていることや、<書証番号略>の蓼川神社の会計簿中に買収代金の入金の記載がないことも、少なくとも本件土地自体に関する土地代金領収証の信用性を直ちに減殺するものとはいえない。そして、右代金の支払日についても、当初予定されていた代金の支払期日とその代金が現実に支払われた日との間に前記の程度の隔たりがあることも、何ら乙第二号証の信用性を損なうものであるとはいえない。むしろ、前記の認定事実と乙第二号証によれば、本件土地に関する買収代金の領収印は、「山口哲」となっていて、いわゆる三文判ではなく、山口哲之助本人の印鑑の印影であると推認することができ(なお、この推認を覆すに足りる証拠は全く存在しない。)、そして、当審における控訴人本人尋問の結果によれば、本件買収当時山口哲之助は蓼川神社の氏子総代であり、山口武敏も同神社の氏子であり、さらに両名は当時住居が隣同士の間柄であったことが認められるとともに、二九名という多人数の共有地の買収代金の支払いについては事務手続上代表者(代理人)を決めて支払っても不自然ではないと考えられることを勘案すると、山口武敏を含む本件元共有者が本件土地の買収代金の受領をその共有者の一人であった山口哲之助に委任したことは十分推認することができ、その推認に不合理な点はないというべきである。したがって、控訴人の右主張は理由がない。
(六) 控訴人は、本件元共有者又はその相続人が昭和四九年以降に被控訴人に提出した本件土地に関する登記承諾書等の書類は、被控訴人との交渉過程における交渉手段の一つとして提出したものであって、本件土地の所有権が前記の買収により被控訴人に帰属していることを認めて提出したものではないと主張する。そして<書証番号略>、控訴人本人尋問の結果(原審及び当審)の中には、右書類中の印鑑証明書は、控訴人らが本件土地の所有者であること自体を証明するために提出したものであり、また、登記承諾書は、被控訴人側から交渉が成立した場合には必要であるから予め提出してほしいといわれて提出したものにすぎず、被控訴人が本件土地の所有者であることを認めて提出したものではない、さらに、委任状は、被控訴人側からまず未登記分の土地から交渉したいが、地権者が多数いるので、交渉委員を絞ってほしいと言われて提出したものであり、委任状の内容の『見舞金等』との記載も、被控訴人側で勝手に記載したものであり、本件元共有者又はその相続人は、被控訴人側から過去に深谷地区における交渉ではこの書式で解決しているので、こういう書式を利用しないと交渉ができないといわれ、被控訴人側の作成した文書上に提示されるままに署名押印して提出したものにすぎないなどとの供述記載及び供述部分があり、原審相原告山口宣雄本人尋問の結果の中にも、同旨の供述部分がある。」
8 原判決三四枚目裏五行目の「原告らの前記各供述」を「前記の甲第八五号証の三の供述記載並びに原審相原告ら及び控訴人の各供述部分」に改め、同六行目と同七行目との間に改行して「したがって、控訴人の右主張も理由がない。」を加え、同八行目の「三 結論」を「三 再抗弁1(買収契約の当然無効)について」に改め、同行と同九行目との間に改行して次のとおり加える。
「控訴人は、本件土地の買収契約が成立しているとしても、これは、当時の天皇絶対の体制下において、土地の所有者が意思選択の自由を完全に奪われた状況下において強制されて成立したものであり、また、わが国の行なった太平洋戦争は犯罪行為であり、厚木基地建設のための土地の買収はこの犯罪行為の手段としてなされたものであるなどの理由から、本件土地の買収契約は当然に無効であると主張する。
しかしながら、前記二で認定した各事実を総合しても、山口武敏が、本件土地の買収契約について、意思選択の自由を完全に奪われた状況下においてその承諾を強制された結果、これを締結したものであるとは認めることができず、その他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、旧海軍による本件土地の買収が本件基地の建設のためになされたことと、太平洋戦争に関する東京裁判や平和条約の内容あるいは日本国憲法の戦争放棄の条項との間には直接の関連性があるとは解し得ないし、また、本件土地の買収が犯罪行為の手段としてなされた違法なものであるということもできない。したがって、それらの事由によって本件土地の買収契約が当然に無効となると解するのは相当でないから、控訴人の右主張は、その理由がないというべきである。
四 結論」
9 原判決三五枚目表一行目の冒頭から同九行目の「三」までを次のとおりに改める。
「一 請求原因1及び3の事実について
これらの事実については、当事者間に争いがない。
二 請求原因2のうち本訴の抗弁1の事実について
この事実については、前記第一の二で認定、判断したとおりである。
三 抗弁1について
この抗弁については、前記第一の三で認定、判断したとおりである。
四」
二 以上の次第で、本訴及び反訴に関する原判決はいずれも相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却すべきであり、また、控訴人が当審で交換的に変更した新請求も理由がないから、これをも棄却すべきである。よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 渡邉等 裁判官 富田善範)